ふるさと館「旧 山中正吉邸」
日野町に残っている山城跡の詳細資料を展示してあるという事で、ふるさと館へ行ってみた
中に入ってみると、展示室ではパネルで山城を紹介されていたが、撮影禁止となっていた
詳細を記録できなかったが、十数か所の山城が残っていて、蒲生氏、小倉氏の居城だった
後に中野城跡に行ってみたところ
1582年本能寺の変の際に信長の妻子を蒲生賢秀と氏郷が
中野城にかくまって助けた事は歴史上有名な史実で、看板があった
昭和40年(1965年)、日野川ダムの造成で、土塁などが壊され、今は石垣の一部が残っていた
1620年、市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで
続いたとの事、現在は草ぼうぼうの広場となっていて、石碑で残されていた
ふるさと館では、デビル磁石式乙号卓上電話機(明治30年(1897年))が展示されていた
台所には大釜付きの五口カマドが残っていた
接客室では手入れされた庭を見せながら対応していたようだ
洋間では当時のチェスが置かれていた
この屋敷の敷地は600坪で、建屋が300坪だそうだ
酒造業を営んでいた日野商人の豪華な生活、接客ぶりがうかがわれた
ふるさと館から外に出ると、反対側に西大路郵便局があり、昭和のポストが現在も使われていた
昭和初期のレトロな雰囲気が残っているところだった
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