2020年09月26日
ふるさと館「旧 山中正吉邸」
日野町に残っている山城跡の詳細資料を展示してあるという事で、ふるさと館へ行ってみた


中に入ってみると、展示室ではパネルで山城を紹介されていたが、撮影禁止となっていた
詳細を記録できなかったが、十数か所の山城が残っていて、蒲生氏、小倉氏の居城だった
後に中野城跡に行ってみたところ
1582年本能寺の変の際に信長の妻子を蒲生賢秀と氏郷が
中野城にかくまって助けた事は歴史上有名な史実で、看板があった


昭和40年(1965年)、日野川ダムの造成で、土塁などが壊され、今は石垣の一部が残っていた

1620年、市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで
続いたとの事、現在は草ぼうぼうの広場となっていて、石碑で残されていた
ふるさと館では、デビル磁石式乙号卓上電話機(明治30年(1897年))が展示されていた

台所には大釜付きの五口カマドが残っていた

接客室では手入れされた庭を見せながら対応していたようだ



洋間では当時のチェスが置かれていた

この屋敷の敷地は600坪で、建屋が300坪だそうだ
酒造業を営んでいた日野商人の豪華な生活、接客ぶりがうかがわれた
ふるさと館から外に出ると、反対側に西大路郵便局があり、昭和のポストが現在も使われていた


昭和初期のレトロな雰囲気が残っているところだった
中に入ってみると、展示室ではパネルで山城を紹介されていたが、撮影禁止となっていた
詳細を記録できなかったが、十数か所の山城が残っていて、蒲生氏、小倉氏の居城だった
後に中野城跡に行ってみたところ
1582年本能寺の変の際に信長の妻子を蒲生賢秀と氏郷が
中野城にかくまって助けた事は歴史上有名な史実で、看板があった
昭和40年(1965年)、日野川ダムの造成で、土塁などが壊され、今は石垣の一部が残っていた
1620年、市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで
続いたとの事、現在は草ぼうぼうの広場となっていて、石碑で残されていた
ふるさと館では、デビル磁石式乙号卓上電話機(明治30年(1897年))が展示されていた
台所には大釜付きの五口カマドが残っていた
接客室では手入れされた庭を見せながら対応していたようだ
洋間では当時のチェスが置かれていた
この屋敷の敷地は600坪で、建屋が300坪だそうだ
酒造業を営んでいた日野商人の豪華な生活、接客ぶりがうかがわれた
ふるさと館から外に出ると、反対側に西大路郵便局があり、昭和のポストが現在も使われていた
昭和初期のレトロな雰囲気が残っているところだった
2020年09月21日
葛川の秋空
9月も彼岸入り、雨が2日続いたので天気を心配していたが、晴れてきた


コスモスも咲きだして、山と花の景色を見ていると気持ちがいい
友人と葛川防村から明王谷の林道を上った
途中に非日常の世界と称されている三の瀧があり、高さ20mの瀧との事、少し下りて見てきた


瀧の下を見ると谷の深さを感じる
とても下まで行く気にはなれない

行者の入峰道場と書かれていた
ここから30分ほど林道を上って行くとゴロゴロ岩の多い川に出る


まず初めにアカハライモリが岩のコケにいた


なんだか愛嬌のあるイモリで、手に取っても逃げようとしない
水の中に入れたらスイスイ泳いで何処かに行ってしまった
雨の影響で水量があると思っていたが、意外に川の水は少なかった


今年初めての釣りであったが、イワナが釣れた


友人はアマゴを釣った
今日は片道約1時間のコースで、体はくたびれたが、満足して下山出来た
天気も良く、道中さわやかな風が流れた日で、今日1日でもう納竿
コスモスも咲きだして、山と花の景色を見ていると気持ちがいい
友人と葛川防村から明王谷の林道を上った
途中に非日常の世界と称されている三の瀧があり、高さ20mの瀧との事、少し下りて見てきた
瀧の下を見ると谷の深さを感じる
とても下まで行く気にはなれない
行者の入峰道場と書かれていた
ここから30分ほど林道を上って行くとゴロゴロ岩の多い川に出る
まず初めにアカハライモリが岩のコケにいた
なんだか愛嬌のあるイモリで、手に取っても逃げようとしない
水の中に入れたらスイスイ泳いで何処かに行ってしまった
雨の影響で水量があると思っていたが、意外に川の水は少なかった
今年初めての釣りであったが、イワナが釣れた
友人はアマゴを釣った
今日は片道約1時間のコースで、体はくたびれたが、満足して下山出来た
天気も良く、道中さわやかな風が流れた日で、今日1日でもう納竿
2020年09月12日
丹波の黒井城址
友人と丹波にある黒井城址に登る計画をしていたので、今日は合羽を着てでも行く予定だった

前日の天気予報では、今日9/12が大雨の予報で心配していたが
朝8時過ぎには若干霧雨の状態であったが、晴れ間が出て青空が見えだした
中国自動車道の宝塚辺りではすっかり晴れていた

舞鶴若狭自動車道の春日ICを降りたのが10時頃

春日ICから数分の所で黒井城址のある山が右手に見え、晴天であり安堵


駐車場のすぐ近くに興禅寺という春日局の生誕の寺があった


この前を通って、いよいよ登山口に向かう


黒井城と保月城の2種の石碑があり、疑問を感じた
黒井城の愛称として別名保月城になったとの事、昭和32年に山の頂上に石碑が立てられた




標高356mではあるが、急な登山道を800m登ることになった
今年初めての登山だったので、200mの地点で、水分補給して一息入れ、500mでまた一息
普段の運動不足のせいで、かなりきつかった
1570年代の戦国武将たちが、重い甲冑を着てここを登ったなんて信じられない


曲輪跡の所に石垣が残っていた




頂上から下界を見て、疲れて苦しかったが、弁当を食べて、コーヒーを飲み満足感に浸った


11時30分頃に黒い雲が流れ出していたので下山

無事、駐車場に戻れた
前日の天気予報では、今日9/12が大雨の予報で心配していたが
朝8時過ぎには若干霧雨の状態であったが、晴れ間が出て青空が見えだした
中国自動車道の宝塚辺りではすっかり晴れていた
舞鶴若狭自動車道の春日ICを降りたのが10時頃
春日ICから数分の所で黒井城址のある山が右手に見え、晴天であり安堵
駐車場のすぐ近くに興禅寺という春日局の生誕の寺があった
この前を通って、いよいよ登山口に向かう
黒井城と保月城の2種の石碑があり、疑問を感じた
黒井城の愛称として別名保月城になったとの事、昭和32年に山の頂上に石碑が立てられた
標高356mではあるが、急な登山道を800m登ることになった
今年初めての登山だったので、200mの地点で、水分補給して一息入れ、500mでまた一息
普段の運動不足のせいで、かなりきつかった
1570年代の戦国武将たちが、重い甲冑を着てここを登ったなんて信じられない
曲輪跡の所に石垣が残っていた
頂上から下界を見て、疲れて苦しかったが、弁当を食べて、コーヒーを飲み満足感に浸った
11時30分頃に黒い雲が流れ出していたので下山
無事、駐車場に戻れた
2020年09月05日
秋空
9月に入り、昼間はまだ暑いが、夜になると暑さも徐々に弱まり、過ごしやすくなってきている
日没もPM6時20分頃だし、秋の気配を日に日に感じる
先週に続き、空の雲が激しく動いている




ブラブラ歩いていると、サルスベリが7月の中旬頃から咲きだして、現在もあちこちで見る



華やかに次々と開花して咲き続けている
開花期間が長いから、夏の終わりを告げる百日紅とも言うそうだ
名前から想像すると、3か月ほど咲くのだろう


公園のムクゲがポツリポツリとなってきて、蕾がもうなくなった


古城山の方を見ると、用水路の水の勢いがあって、水が澄んできた


チョウたちも花の咲いている所に飛んでいる




アザミも枯れているものが目立ってきた
我が家のガザニアも小さくなって最後の力を摺り絞って咲いているみたいだ

夏が終われば、何かと世間の動きも活発化して大きく変化してくるだろう
9月こそ、出かけたいものだ

日没もPM6時20分頃だし、秋の気配を日に日に感じる
先週に続き、空の雲が激しく動いている
ブラブラ歩いていると、サルスベリが7月の中旬頃から咲きだして、現在もあちこちで見る
華やかに次々と開花して咲き続けている
開花期間が長いから、夏の終わりを告げる百日紅とも言うそうだ
名前から想像すると、3か月ほど咲くのだろう
公園のムクゲがポツリポツリとなってきて、蕾がもうなくなった
古城山の方を見ると、用水路の水の勢いがあって、水が澄んできた
チョウたちも花の咲いている所に飛んでいる
アザミも枯れているものが目立ってきた
我が家のガザニアも小さくなって最後の力を摺り絞って咲いているみたいだ
夏が終われば、何かと世間の動きも活発化して大きく変化してくるだろう
9月こそ、出かけたいものだ