2020年09月12日
丹波の黒井城址
友人と丹波にある黒井城址に登る計画をしていたので、今日は合羽を着てでも行く予定だった

前日の天気予報では、今日9/12が大雨の予報で心配していたが
朝8時過ぎには若干霧雨の状態であったが、晴れ間が出て青空が見えだした
中国自動車道の宝塚辺りではすっかり晴れていた

舞鶴若狭自動車道の春日ICを降りたのが10時頃

春日ICから数分の所で黒井城址のある山が右手に見え、晴天であり安堵


駐車場のすぐ近くに興禅寺という春日局の生誕の寺があった


この前を通って、いよいよ登山口に向かう


黒井城と保月城の2種の石碑があり、疑問を感じた
黒井城の愛称として別名保月城になったとの事、昭和32年に山の頂上に石碑が立てられた




標高356mではあるが、急な登山道を800m登ることになった
今年初めての登山だったので、200mの地点で、水分補給して一息入れ、500mでまた一息
普段の運動不足のせいで、かなりきつかった
1570年代の戦国武将たちが、重い甲冑を着てここを登ったなんて信じられない


曲輪跡の所に石垣が残っていた




頂上から下界を見て、疲れて苦しかったが、弁当を食べて、コーヒーを飲み満足感に浸った


11時30分頃に黒い雲が流れ出していたので下山

無事、駐車場に戻れた
前日の天気予報では、今日9/12が大雨の予報で心配していたが
朝8時過ぎには若干霧雨の状態であったが、晴れ間が出て青空が見えだした
中国自動車道の宝塚辺りではすっかり晴れていた
舞鶴若狭自動車道の春日ICを降りたのが10時頃
春日ICから数分の所で黒井城址のある山が右手に見え、晴天であり安堵
駐車場のすぐ近くに興禅寺という春日局の生誕の寺があった
この前を通って、いよいよ登山口に向かう
黒井城と保月城の2種の石碑があり、疑問を感じた
黒井城の愛称として別名保月城になったとの事、昭和32年に山の頂上に石碑が立てられた
標高356mではあるが、急な登山道を800m登ることになった
今年初めての登山だったので、200mの地点で、水分補給して一息入れ、500mでまた一息
普段の運動不足のせいで、かなりきつかった
1570年代の戦国武将たちが、重い甲冑を着てここを登ったなんて信じられない
曲輪跡の所に石垣が残っていた
頂上から下界を見て、疲れて苦しかったが、弁当を食べて、コーヒーを飲み満足感に浸った
11時30分頃に黒い雲が流れ出していたので下山
無事、駐車場に戻れた
Posted by
ダックス雅堂
at
23:51
│Comments(
0
) │
夏